「政治とは権力の分配である」、とした概念が幾世紀にも亘って語られ、政治の目的が「権力奪取」であるかの如く誤謬が、久しく世間一般的な常識となり、政治家を志す者に誤った観念が植え付けられてきました。
実は政治とは本来、我々市民や国民一人ひとりの安寧と幸福に寄与することを
目的とすべきであり、そして政治家とは、その為に自己犠牲を良しとし、人々への奉仕こそがわが使命と意気に感ずる者のみが、その任に当たるべきものではないでしょうか?
近年そうした理想は完全に地に落ち、自らの利益追求と保身とに汲々とし、私利私欲や党利党略が政治の原動力となっております。実に不幸な時代を私たちは過ごしていると言えるのではないでしょうか。
政治家の目線は、政治家になった途端に、庶民としての感覚を失い、国民の爪に火をともす思いで節約して暮らす生活観からは程遠い税金の無駄遣いやばら撒きに奔走している様子は、年金問題や道路財源問題始め、枚挙にいとまのない目に余る状況であります。
また、
政治家は選挙のときのみ市民や国民に頭を下げますが、或いは理想を語り、多くの約束を致しますが、いざ政治家になってしまうと、自ら掲げた理想や公約をいともたやすく反古にし、堂々と裏切っていく現状であります。
一方、
我々市民・国民側も、政治家のそうしたブレには慣れ切ってしまったのか、或いは所詮そうしたものと諦めてしまっているのか、野放図な状況を変えようとはしなくなってしまい、
更には、公共性よりも自らの利益を優先し、逆に政治家への陳情という形で利益誘導に走ってしまったりする現状が現に存在するのも事実であります。
“その国の政治は、民度による“とは実にいい得て妙であり、私たち自身の質が高まらない限り、そうした悪循環は断ち切れないのかもしれません。
では何故私たち市民や国民は、私たち自身の民度を上げようとせず、また一方では、政治家やお役人のいかなる理不尽にも、ただ黙して語らないのでしょうか?
否、意見や考えを個々のレベルでは表明はするものの、手を繋ぎ、同志を募り、社会を、世の中を改革しようと現実に立ち上がろうとはしないのでしょうか?
その答えは、
今の制度だけでは無力感を禁じえないからです。数年に1度の選挙権の行使、或いは被選挙権の行使、いずれにせよ、1票はとても軽くにしか思えず、さりとて政治家に自ら志願し、立候補し、いざ政治家への志を成し遂げたところで、政党政治の限界にたちどころに気付かされ、いち政治家の力の無力さを思い知らされるばかりなのですから。
そこで、まさか!の時の坂間は考えました。
選挙だけでは現代政治の改革、否、真の意味でのレボリューションは無理なんだと。
ならば、
この絶望感を打破すべく新しいシステムを構築しようと。
それが、
「ロビイスト倶楽部」なんです。
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